ガラス乾板資料の保存を提言する

渡辺史生 (新潟県安田町教育委員会/元・安田町立吉田東伍記念博物館主査)


歴史的写真資料の発見
わが国の写真の歴史は約150年。フイルムが登場する以前は、写真が希少で高価な時代が長く続いた。明治期に写真は急速に普及したが、その原板、ガラス・プレート Glass - Plate(ガラス湿板・ガラス乾板)自体はその素材の性質から、保存率、伝世率は高くはない。

1996年夏、新潟県安田町の旧家から、2千数百枚のガラス乾板を含む膨大な写真関係資料が見つかった。これらを残していたのは、歯科医師・石塚三郎氏(1876-1958)。野口英世の盟友として知られる人物である。

21世紀目前のまさにその時、20世紀初頭のほぼ四半世紀の「時代」をとらえた画像、例えば大隈重信の遊説や日露戦争従軍兵士の歓送シーンといった、これまで未見の歴史的写真がオリジナル原板で 2,000カット以上もまとまっての「出現」である。このニュースは全国紙上でいささかセンセーショナルな見出しで報ぜられ、新出の資料群は一躍注目を浴びることとなった。原蔵の石塚氏親族から一括寄贈をうけることとなった安田町立吉田東伍記念博物館(筆者が当時勤務)へはその直後から問い合わせが殺到し、いまだにその余波が続いている。

同館では、98年秋から翌年にかけて、特別企画展「活写(うつ)された世紀開幕」を開催しその一部を初公開した。その後同館が共催・協力した写真展が東京・大阪・札幌など各地で開催され、99年秋には、ニコン・ニッコールクラブが『よみがえる日本の近代 石塚三郎旧蔵明治・大正ガラス乾板写真』(ニコンサロンブックス26)を刊行しているので、ご覧いただいた方もおありのことと思う。

写真資料の取り扱いをめぐる数々の問題点
今日、同館が所蔵する「石塚三郎旧蔵写真ガラス乾板」は、近代日本の息吹をとらえた歴史画像として評価される一方、そのうちの一部の写真は完成度の高いいわゆる「芸術写真」であるとの指摘もなされている。

人口1万余の田舎町の開館間もない小さな町立博物館が、思いがけず収蔵することとなった「日本近代(写真)史上の発見資料」。私たちスタッフはこの資料群の発見、整理作業に立ち会えたことに大きな喜びを感じてはいたが、同時に一方で、この資料の取り扱いをめぐる数々の問題点も浮上し、課題の多さに四苦八苦したというのが偽らざるところである。

古写真についての専門知識をもたない私たちは、収納整理作業に着手するさい、当然のごとく、他の資料または文化財分野にあるような“取扱手引き書”的書籍にあたろうとした。しかし残念ながら、当時邦文の文献で、私たちの希望にかなうハンドブック、マニュアル、テキストのたぐいを探しだすことはできなかった。

いたって単純なことであるが、塵埃に覆われた乾板のクリーニングは具体的にどういう用具でどのような手順でおこなえばよいのか。某書の記載では発見された乾板を「水洗した」とあり、また某誌では水洗の実行を排斥している。そもそも、クリーニング後の乾板の保管環境はどう整えたらよいのだろう。などなど…。いってみれば“イロハ”の問題での疑問符である。

発見報道直後に国内の複数の公立歴史博物館・資料館から同館に対して、乾板の整理・保存方法をたずねる質問が寄せられたことからみても、ガラス乾板の整理・保存に関しては、資料操作の基本的手順すら一般化しておらず、かつ、現在わが国におけるこの分野の情報は、ごく一部の専門機関の間を除けば、ほとんど発信されていないという事実にもいささか失望させられた。

写真資料が内包する無比の情報量
当然のことながら写真ガラス乾板は始めから“記録媒体”として存在している。事象を簡便に記録でき、ビジュアルな情報を多方に伝えることを可能にした、歴史的には比較的新しいこの媒体は、誕生以来刻々の出来事を記録し続け、プリントされた画像は折々に歴史資料として活用されている。しかし肝心の媒体自体の素材が脆弱な化学製品であるという特性から、本来の目的に反して劣化速度が格段に速いというウイークポイントがある。したがって、他の史(資)料以上の細心の気づかいで接してゆかないと、記録された情報を将来にわたって保存し、活用することは困難となる。

今ここで写真の資料論を云々するいとまはないけれども、写真画像資料は文献史(資)料や絵画資料とは決定的に異なるいくつかの特質を有している。時代の記録性と芸術的表現性をあわせ持っているが、いうまでもなく記録性では他の資料を凌駕する無比の情報量を内包しているといえよう。すなわち、フレームに写し込まれた“森羅万象”すべてが情報となりうるからである。

一枚の写真資料の画像情報にくだされる資料的評価は撮影時における作者の主観と合致する場合もあれば、そうでない場合もある。写真画像資料の有用性は多様な観察者による多様な情報の取り出しが可能である点にあり、必ずしも撮影当事者が記録しようとした被写体あるいはモチベーションだけがその写真の資料的評価を決するわけではないのである。

21世紀の文化財保護をめざして
安田町立吉田東伍記念博物館で所蔵することとなった乾板がそれまでそうであったように、たぶん、全国各地には、未プリントのまま、劣悪な条件下で放置され、あるいは死蔵され、何らの対策も講ぜられずに劣化の一途をたどっている乾板が無数にあると予想される。このままでは将来、各地のあるいはわが国の歴史から当該期の画像情報が欠落してしまうという最悪の事態を招きかねない。

無比の情報量を持つ文化財の消失を手をこまねいて傍観していてはいけないのだ。全国的な収蔵調査を行った上で適切な機関で適切な保存処置がいつでもできるようにすべきである。地域博物館や資料館、教育委員会などでも必要最小限の保存策が講じられるようになることが理想である。

公開・活用に関して言えば、インターネット上での公開をも視野に入れた画像のデータベース化が急務である。もっともこれは、前述のようにフレーム内に写し込まれた森羅万象の「分類」を前提としているので、おそらくこの作業は容易ならざるものであると予想される。たぶん作業者はカテゴリーの設定で逡巡することとなろう。

「写真考古学」などという言葉が一部で安易に用いられているようであるが、私の知る限りでは、歴史的写真画像のタイポロジーは未確立である。統一基準のジャンル・タイプインデックス、あるいはカタログが存在しているということもない。すべてはこれからである。

こうした状況の中で「ガラス・プレート研究会」を発足させる。私たちが焦慮している上記のような問題を真っ正面から取り上げようとする研究会である。これで礎石はすえられた。21世紀は写真資料が「文化財」に指定される世紀である。時代の要請によって組織された同会への期待は大きい。



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